観光情報 散策コース

公開日 2022年11月14日

散策コース

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ふるさと・ふれあい・みぶの道 散策コース「見どころ紹介」

愛宕神社

愛宕神社

 

愛宕様の祭神は、伽具土の神といい、火を司る神様です。
京都市の愛宕神社を総本山として、全国に祀られています。当町でも城主・松平輝貞公が、火防の守りとして愛宕神社を造営された。
例祭には子供相撲が奉納されます。
壬生町表町4-15

 

壬生一里塚

壬生一里塚

 

江戸時代に、江戸日本橋を基点に、36町を一里(約4Km)とし、街道の両側に設けられた塚で、塚の上には主に榎が植えられ、日光西街道に設けられた1つです。
江戸日本橋から23里目(約92Km)にあたります。国指定史跡。

壬生町表町8-15付近


興生寺

興生寺

 

平安の時代の開創といわれる真言宗の古刹。
江戸時代は壬生城主代々の祈願所で、本寺の格式を誇っていたそうですが、今は庶民の憩える静かな境内になっています。
下野三十三観音霊場の一つで、町指定天然記念物のかやの大樹もあります。

壬生町本丸2-15-31

 

豊栖院

 

豊栖院

 

嘉永年間(1848~54)伊勢屋火事の大火に遭い、堂・塔・伽藍・旧記・古画類をすべて焼かれました。
当院24世・雲外和尚の手によって現在の本堂が建立されました。
壬生藩のお抱え絵師平出雪耕(1749~1823)の碑がある。

壬生町本丸2-14-7

 

精忠神社

 

精忠神社

 

江戸時代の正徳2年(1712)から明治維新まで、代々壬生藩主だった鳥居家の先祖・鳥居元忠公を祀る神社。
関ヶ原の戦いに先立ち伏見城を石田三成から守ろうとした徳川家康の重臣、元忠であったが攻防戦の末自刃する。そのとき血の付いた畳を埋めた畳塚がある。

壬生町本丸1-9-13

 

城址公園

 

城址公園

 

壬生城の本丸跡に整備された公園。壬生城の「二の丸門」を復元し、おしゃれなブロンズ像や噴水が訪れた人たちの心を和ませてくれます。
中央公民館、歴史民俗資料館、図書館があり、教育・歴史・文化の拠点になっている。

壬生町本丸1丁目8番33号

 

興光寺

 

興光寺

 

應永年間(1394~1428)、良納上人によって福和田に開かれ、慶安4年(1651)徳川家光公のお骨を日光に送納するに先立ち、本陣松本家の隠居所であった現地に移り、通夜が行われた寺です。
幕府から「葵」の紋が贈られ、子育て呑龍上人像を尊置。

壬生町通町7-13

 

しののめ桜堤

 

しののめ桜堤

 

黒川沿いの美しい東雲公園。
両岸には約250本の桜が植えられ、とちぎ景勝百景となっている。吊り橋の東雲さくら橋から見る景色は最高。

壬生町大字壬生甲600番地付近

 

車塚古墳

 

車塚古墳

 

墳丘は三段からなり、その直径は80mを超える県内屈指の大円墳です。
深い堀と土塁が廻り、古墳が造られた当時の姿を現在に留めています。巨大な凝灰岩で造られた横穴式石室が口を開けています。

壬生町大字壬生甲3152-2付近

 

壬生寺

 

壬生寺

 

慈覚大師円仁誕生の地、壬生寺。
慈覚大師円仁は、壬生の御里(大師)に生まれ15才で比叡山に上り、最澄に師事。
その後、唐に渡り帰朝後は天台宗第三世座主となり日本天台宗の基礎をつくりました。
「大師産湯の井戸」があり、境内には県指定天然記念物の大銀杏があります。

壬生町大師町11-17

 

縄解地蔵尊

 

縄解地蔵尊

 

壬生城初代城主・壬生氏が、京都から勧請して祀った地蔵尊。
縄解きというのは「苦しみから解放されること」で、信仰によって罪ある者さえ解放されるといわれています。4月下旬に例祭があります。
京都洛西の壬生寺「縄目地蔵菩薩」、三重県名張市の「延命地蔵菩薩」とともに、「日本三体地蔵尊」と呼ばれています。

壬生町駅東町6-23

 

鯉沼九八郎翁の碑

 

鯉沼九八郎翁の碑

 

栃木県における自由民権運動の先駆者。明治17年栃木県庁が宇都宮に移され、開庁式で三島県令らを暗殺する計画を立てたが、九八郎は爆弾製造中爆発して左腕を失った。(加波山事件)
その後県会議員として活躍し大正13年没。

壬生町大字上稲葉933-1

 

金売り吉次の墓

 

金売り吉次の墓

 

源九郎義経を鞍馬山から連れだして藤原秀衡の元に送り届けた豪商で、この稲葉の地で生涯を終えた。
「奥の細道」で知られる松尾芭蕉に随行した曽良の日記に、
「壬生ヨリ楡木ヘ二リミフヨリ半道ハカリ行テ吉次カ塚右ノ方二十間ハカリ畠中ニ有」
と記されています。

壬生町大字上稲葉1563-2

 

常楽寺

 

常楽寺

 

壬生城初代城主・壬生氏が、室町中期寛正3年(1462)創建した曹洞宗の寺。
江戸中期から、壬生城主・鳥居家の菩提寺となり、壬生家歴代の墓、鳥居家累代の墓がある。また蘭学医・斎藤玄昌(二宮尊徳先生の主治医)の墓等もある。

壬生町本丸1-1-30

 

雄琴神社

 

雄琴神社

 

寛治5年(1091)の創建と伝えられ、祭神は天照大御神、天武天皇、舎人親王。はじめ藤森神社といい、寛正3年壬生城主・壬生彦五郎胤業が、遠祖小槻今雄(おずきいまお)を合祀して雄琴神社と改めた。
銅製の鳥居は1778年に佐野天明鋳物師が鋳造。台石に八角の柱が立ち、根巻に唐獅子がついており、類例の少ないもので、県の指定文化財になっている。

壬生町通町18-55

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